やわらか生活
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土用の丑の日

平賀源内説だけじゃない土用の丑の日の説。まだまだある鰻の密接な関係。

土用の丑の日と鰻の関係でよく言われている有名なお話。

 鰻屋が夏場に売れない鰻を売る方法を、
 当時とても有名だった平賀源内に相談した結果、
 『本日土用丑の日』と書いて店先に貼ったら
 とてもよく売れた。

こうした『平賀源内説』がとても有名ですよね?
でも、もっと有名な説があるのですがご存知でしょうか?

『平賀源内説』以外にも実はいろいろなお話が残されているので、今回はそのお話をご紹介したいと思います!


その一、春木屋善兵衛説

文政時代(11代将軍徳川家斉の頃)、神田和泉町通りの鰻屋『春木屋善兵衛』のところに藤堂というお殿様から大量の鰻の蒲焼の注文が入りました。
1日では作れないほど注文数が多かったので、土用の子の日、丑の日、寅の日と3日かけて蒲焼を作り、作ったものを土甕に入れて密封し、一つ一つに日付けをつけて床下に貯蔵しました。

いよいよ納品の日に封を切ってみると、丑の日に作った分だけが状態が悪くなっていなかったのです。
このことから、ものが腐りやすい夏の日でも鰻の鮮度を保つことができたということになり、転じて、

 『夏バテ防止に効果がある。』

となり、夏の土用に鰻を食べるようになったという話です。
今と違って冷蔵庫などなく、また医学も今ほど発達していなかったこの時代。きっと人々は、この鰻の『夏バテ防止効果』を本当に信じていたんでしょうね。


その二、蜀山人説

江戸時代中期に蜀山人、本名を大田南畝(おおたなんぽ)という狂歌人(社会風刺や皮肉などを盛り込んだ「五、七、五、七、七」構成のパロディ形式の短歌を詠む人。)がいました。

ある日、鰻屋に鰻を売るにはどうしたらよいかを相談された蜀山人は、

 『丑の日に鰻を食べると薬になる。』

という内容の狂歌をキャッチコピーとして考え出しました。
すると、意外や意外、鰻がとてもよく売れたという話です。

やはり、有名人がオススメするとつい自分も試してみたくなるというのは、今も昔も変わらないんですね。案外、昔の人もミーハーだったんだなぁととても親近感が湧きますよね。

他にも、毛筆で『うし』という文字を書いたときに、まるで2匹の鰻のように見えたという説など、探してみるとまだまだあるようですよ。



まとめ

どの説も、土用の丑の日と鰻が密接に関わっているという点は同じですが、色々な理由の説があって本当に興味深く感じますよね。
今年の土用の丑の日、鰻を食べる際には、是非これらのお話を思い出していただいて、大切な誰かと話に花を咲かせてみてはいかがでしょうか?

「あー、平賀源内の話でしょ?」

なんて言われた時には、是非このお話を得意気に説明してみましょう!